さくら日誌

日々のことから異世界のことまでいろいろ

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目覚めた子どもはダウン症だった。

2022年8月4日に僕たち夫婦の初めての子となる息子が産まれました。


結婚してから数年子どもに恵まれなかったため、僕らは妊活を始めました。
色々な検査しましたが不妊の原因ははっきりせず、妻はその間、毎月生理が来るたびに落ち込んだり、精神的に不安定になることもありました。
それでも諦めず、最終的には二回目の体外受精にてようやく妊娠に至りました。
妻はとても長い間病院に通い、薬を飲み、何度も体に針を通しがんばってくれました。
この命はただ単に授かったものではなく、妻の強い意志と努力で辿り着いたものだと感じました。

 

僕らは、僕の実家がある熊本に里帰りし出産することにしました。
幸い僕がそちらでも働くことができたのと、サポートしてくれる家族がいること、それに熊本に有名な産婦人科があったからです。
熊本に行った僕らは子ども用のベットを買ったり、ベビーカーを買ったり、可愛らしい小さな服を買ったりしながら心を弾ませました。
子どもはどんなことに興味を持つだろう。どんな音楽が好きになるかな? どんなことを学ばせようなど。
産婦人科の出産後のお祝いディナーも有名で、生まれたら素敵な食事をして、みんなで退院して家族一同から祝福されることを想像していました。
そうしてある程度したら東京に戻り、三人での新しい生活が始まり、保育園を探したり、妻は仕事に復帰する準備をしだす。
そう当たり前に思っていました。


ところがまず出産前に息子の心臓に疾患があることが分かり、市内の総合病院に移ることになりました。


その数週間後、息子は生まれました。


逆子であったことと、妻と息子の状況のため、予定日より3週間ほど早く帝王切開での出産となりましたが、2710gの元気な男の子でした。


先生から、息子が退院できるまで少なくとも一ヶ月以上かかりは、その間NICUに入らないといけない。
またもう少し大きくなって体力がついてから、しかし一年以内には手術をしないといけない状態であることが伝えられました。
NICUの中にいる息子とは、コロナのこともあり、息子の親(僕と妻)のみが一日一時間だけ面会することが許されました。
出産から一週間後、無事に退院した妻は、毎日三時間ごとに一度搾乳をしなければならず大変な日々ではありますが、その冷凍した母乳が入ったパックを持って病院に行き、息子と過ごす一時間は何よりもかけがいのない時間となりました。


その頃、僕ら夫婦の間でとある懸念が生まれました。
「もしかしたら息子はダウン症ではないだろうか」
心臓疾患のことと、息子のいくつかの特徴がそれに一致していたのです。
そのことが心配で、妻は深夜ひとりで搾乳をしながら泣いていることもありました。


そうして息子が生まれてから約二週間後、息子がダウン症であることが告げられました。
ダウン症であるかもしれないと覚悟していたのですが、やはりダウン症ではないかもしれないという希望が完全に断たれたことはとても強いショックでした。
先生の話を聞きながら、僕は妻の手を握りました。
しばらく何も手につかない時期が続きました。
仕事は休ませてもらい、病院への運転も母親に頼み連れて行ってもらいました。
僕ら夫婦には時間が必要でした。
より具体的に言うと、自分自身は今深く深く傷ついているんだということを受け止めるための時間が必要でした。
僕ら夫婦はなるべくずっと一緒にいるようにしました。会話があってもなくてもそばにいつづけました。
そうして二人はお互いの心を慰め合っていたのだと思います。
その暗く長いトンネルのような時間を過ごし、僕らはいくぶんかの心の穏やかさを取り戻し、とにかくしっかりやっていこうと思えるところまで来れました。


そうすることができた一番の要因はなんといっても息子の存在でした。
息子は毎日スヤスヤ寝たり、ぼんやりしたり、パタパタ手足を動かしたり、お腹を空かせて元気に泣いたり、ミルクを飲んだりしています。
会えるのは一時間だけですが、それでも毎日少しずつ成長を見せてくれます。
今日は何ccもミルクが飲めた!だとか、とっても大きな声で泣けるようになった!とか。
初めて母乳を直接飲んだり、初めて沐浴をしたりと、息子自身も初めての経験をたくさん重ねていっています。
「お前のことでさんざん悩んでいるのに、なんで当の本人はそんな呑気に過ごしてんだよ!」とツッコミを入れたくなるほど、親の心配はつゆ知らずでスクスク成長しています。


僕ら夫婦は完全に前を向けれるようになったかと言えばもちろんそうではなく、時々後ろを向いたり、上を見たり下を見たりキョロキョロしている毎日です。
でもその分、色んな景色が目に止まるようになりました。
家族のサポートのあたたかさ。お話を聞いてくれる友人がいることの心強さ。
心を包み込んでくれる音楽のやさしさ。そして何よりも大切な妻に対する愛。
全てがおんなじはずなのに少しだけ違って見えるのです。
そうして息子は僕らを想像さえもしていなかった新しい世界に連れて行ってくれました。


きっとこれからも息子はヒマラヤ山脈を登るよりも、ノーチラス号で海底深くへ潜るよりも、アポロで月から地球を眺めるよりももっともっと素晴らしい景色を僕らに見せてくれることでしょう。


まだまだこれから先、どうなるか分からないことはたくさんあります。
息子は耳が聴こえているのかまだ分かっていませんし、今後新たな疾患もこれから出てくるかもしれない。
生活のことだって、この先いつ東京に戻れるのかもみえていないし、妻の仕事のことだってあります。
不安なことは数多くありますが、それでも息子に出会えて本当に幸せだと感じています。


初めて息子の手に触れ温かさを感じた時の感動は何事にも代え難いものでした。
その新しい命を守っていけるよう、僕自身もしっかり生きていこうと思います。

 

最後になりますが、いくつかお知らせがあります。

 

まず僕がやっているバンドscatterbrainでawakeという曲を発表しました。
この曲は息子の出産が分かるよりも前に書いたものです。
その時すでに妊活中だったのでまだ見ぬ命に思いを馳せながら作りましたが、決して子どものためだけの曲ではありません。
僕が人生で書いてきた曲の中で最も美しい曲だと思っています。
この曲が、今ある大切な命が日々目を覚ましていることの素晴らしさに改めてきづくキッカケになればと強く願うばかりです。

 


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何はともあれ人生は続いていきます。

そんなこともあるよね。

 

追記

無事にアルバムをリリースすることができました。

聴いていただけると嬉しいです。

それでは。

 

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